(福岡県 34歳 女性)
転職前はどんな仕事をしていたか
(写真はイメージです)
看護学校を卒業後、福岡県の250床の公立病院で看護師として働いていました。就職した地元の病院は近隣に他に大きな病院もなく、病院の競争がない医療過疎の地域でした。医師に僻地医療手当が出されていたほどです。
循環器内科5年経験後、異動して手術室2年経験があります。手術室ではカレンダー通りの週休2日制で日勤のみですが、緊急手術があれば夜中だろうと呼び出されます。
月に30時間ほど時間外勤務があり、給料は手取りで23万円ほどでした。看護業務一般のほか、病院の委員会活動や学生指導などの看護以外の活動も増えていました。
なぜ転職しようと思ったか
看護師として実務経験が5年になって、仕事を問題なくこなせるようになった時期です。ほかの病院から転職してきた同じ年くらいの子に「同じ病院にずっといたら成長できないよ。」と言われました。
その時はあまり向上心もなく無難に仕事が出来たらよいかなと思っていたのですが、次第に自分が行っている看護が本当に患者さんのためになっているのか疑問が湧いてきました。
もしかして自己満足しているだけで看護師としては全然ダメなんじゃないか、不安はどんどん膨らんでいきます。今の病院で一生働こうとは思っていたのですが、若い時に武者修行のようにほかの病院を体験するのもいいかと思い転職しました。
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どんな転職活動をしたか
転職する地域は、自分の趣味の関係で京都と決めていました。勉強することが目的だったので、病床数が多いほうが教育体制はしっかりしているだろうと考え大きな病院(500床以上)を探しました。
給料を下げたくはなかったので基本給が現状(基本給23万円)以上の額であること、期末手当が4.5か月以上あるかも調べました。2年間の期間限定で転職しようと思っていたので、マンションタイプの寮があることも条件に入れました。
転職サイトという方法を思いつかなかったので自分で各病院のホームページから検索し、病床数・看護体制・教育体制・給料・寮の有無を一覧表にまとめ比較しました。
ホームページだけではすべての情報は手に入らなかったため、施設によっては空欄のままになったところもあります。納得できる条件で3か所に候補が絞れたので、その病院の総務課に直接電話してメールのやり取りを始めました。
うち2か所と病院見学の日程が調整できたので、寮の見学も一緒に実施してもらいました。最初に行った病院は設備や寮など問題なかったのですが、働いている看護師がとても若い印象を受けました。
聞いてみると5年目以下がほとんどだということだったので、これは離職率が高いのだろうと考えました。若い看護師が多いなら、教育内容のレベルも上がっているとは考えにくかったのでお断りしました。
2か所目は800床の京都中心部から少し離れた病院でした。少し前に増築を完了したその病院は、設備が最新式で看護スタッフの年齢も30代以上が中心のようでした。
教育体制の説明を受けましたが、約2か月間の新人教育に経験者も同じように参加し、その後も毎月勉強会が行われるというものでした。CCUがあったことも、循環器内科を経験した私には魅力的でした。
教育体制などは看護部長から直接説明を受けたので、面接も兼ねているということで試験もありませんでした。その後は必要書類を郵送するだけで転職できました。
転職後の職場の様子、感想
新人教育は期待通りに細かく、実技の復習もすることが出来ました。新人教育専属の担当者が1名いてくれたので、困惑することなく研修を終えることが出来ました。
各部署へ配属後、設備や体制などしばらくは新人研修の延長のような感じでしたが、1か月ほどでそれぞれのレベルに分かれて業務が始まりました。
プリセプター制度を取っていたので経験者にもプリセプターを付けてくれたのですが、残念ながらその方との相性があまりよくなかったようです。勉強するつもりで転職したのですが、その方の考える勉強と私の現状にずれがあったらしく、毎日業務終了後に話し合に呼ばれました。
何を要求されているのか理解することができず、毎日の叱責に次第に疲労していき、上司に相談してほかの部署に異動させてもらいました。新しい部署ではプリセプターがつくことがなく、必要時に誰かに相談するという体制でした。
そこで1年間の新人教育を続けさせてもらいながら、部署で行っている新人の勉強会も参加させてもらえました。看護師として勉強不足だと自信を持てなかったのですが、少しずつ自分に合った勉強の方法を見つけることができ、足りなかった自信を少しつけることができたと思います。
ダメだと思ったときに病院を辞めようと思ったのですが、転職に失敗したとすぐにあきらめることなく相談して部署移動をさせてもらえてよかったと思います。
3交代のため夜勤の回数は月8~9回あり、日勤帯の仕事が終わらなかったときはそのまま準夜に入ったこともあります。時間外勤務は手術室にいた頃と同じように月30時間ほどになりましたが、時間外手当の金額は増えていました。
給料は手取りで月28万円に増えました。労働組合が強い権限を持っているところだったようで、期末手当などの話し合いを病院側と行って十分な金額をいただけました。12月のボーナスが70万円あったため大変驚きました。
時間外手当もすべて書くように上司や先輩から言われたので、遠慮なく時間外手当の申請もできました。基本給は前の病院と変わらなかったのですが時間外手当や期末手当が充実していたので、年収は100万円ほど高くなっていました。
労働組合が強い病院は給料に影響するようです。寮費は3万円と相場の半分で、前年度に新築したきれいな寮に住むことが出来ました。仕事をしやすい環境が整えられていたと思います。ただし一点だけ、京都人気質に大変苦労しました。
合わなかったプリセプターも京都出身者でした。以前から京都の人は難しいと聞いてはいましたが、じわじわと真綿で絞められるという感覚はあれか、と後になって思いました。転職する地域もきちんと吟味したほうがよいと反省しました。
(まとめ)転職活動を通じて感じたこと、学んだこと
転職する理由は様々だと思いますが、私は自分を成長させるためという前向きな理由だったのでやる気満々で転職しました。しかし、実際に転職した後にこんなはずじゃなかったとすぐに後悔しました。
前にいた居心地がよい職場から、相手が何を言っているのか理解できないような職場に移動してしまった意味がわからなくなってしまったのです。
その当時の私は患者さんのための看護師ではなく、プリセプターに怒られないようにどうすればよいのか考える学生になってしまっていました。当初の目的を見失って、自分は人としてもダメなんじゃないかと考えるようになっていました。
しかしこの時の経験で、その後の新人教育と学生指導に対する考え方がガラッと変わりました。自分が嫌だなと思ったことを振り返って、同じような思いをさせないように相手をまず認めようと考えるようになったのです。
立場が少し違うだけで相手に嫌味を言ったり、先輩だからと威圧的な態度を取る権利は誰にもないのだと思いました。また新人教育を改めて受けなおすことで、一から自分を見直すことが出来ました。
わかっていたつもりでちゃんと理解していないことは意外に多かったです。学生時代に先生に言われた根拠がなぜ必要なのか、その根拠を正しく知る方法などを学ぶことが出来ました。
自分に合った勉強の方法さえ見つけられたら、あとはどの病院だろうとも自分に自信をもって働くことができます。自分の中のしっかりした芯を作ることまでが大変なのだと思います。いろいろと嫌なこともありましたが、私は転職してよかったと思っています。
もし地元の病院であのままずっと働き続けていたら、自分は狭い視野しか持てなかったと思います。経験年数だけは増えていきますから、自分のやっていることが絶対正しいと勘違いするようになったかもしれません。
ほかを知ることは、謙虚に自分を見つめ直すきっかけになると思います。2年間の転職後、私は地元の病院に再就職しました。一度辞めた職員でも病院は問題なければ受け入れてくれるので、思い切って期間限定の転職をするものよいと思います。
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