(神奈川県 26歳 女性)
転職前はどんな仕事をしていたか
(写真はイメージです)
4年制大学を卒業後1年目に上京し、ベッド数約300~400床ほどの、中規模病院で勤務していました。月給27万円程度、入職から1ヶ月ほどで夜勤が開始し、2交代制の病院でした。
この病院は、整形外科が有名な病院であり、自分自身整形外科の手術を受けた経験があることから看護師になった、という理由もあって、この病院を選びました。インターンでの印象は良く、すぐに「ここで働きたい」と思って入職した病院でした。
整形外科とひとくくりに言っても様々な疾患の方がきます。靭帯断裂や半月板損傷、腱板損傷などのスポーツ整形から、脊椎疾患、大腿骨骨折、TKAやTHAといった変形性関節症など幅広く、若年の方から高齢の方まで、様々な方がいました。
患者さんはみんな笑顔が素敵な方ばかりで、患者さんとふれあうことで、気持ちが癒やされることが多々ありました。
夜勤は月に7回~8回程度、3人体制で行っていました。1人はリーダー業務、あとの2人が半分ずつ患者さんを受け持つという形です。状態の落ち着いている方が多く、もちろん全身状態の管理が必要な患者さんもいましたが、基本的には落ち着いた夜勤が多かったように感じます。
日中も、がんばってリハビリに励んでいる患者さんの様子を見たり、「看護師さん」と話しかけてくれる患者さんと触れ合ったり、また、少しずつ回復していく過程を一緒に体験できて、仕事自体はとてもやりがいのある、私が望んでいた内容でした。
なぜ転職しようと思ったか
仕事自体は、本当にやりがいを感じていました。疾患を1つ1つ勉強するのも、業務を1つずつ覚えることも、自分のやりたいことが叶った場所だったので、楽しく感じていました。患者さんとふれあう、という「看護師 対 患者」の仕事は、とても有意義でした。
しかし、「看護師 対 看護師」は、そううまくいきませんでした。先輩からは、初めてのことでも「なんでできないの?」「このあいだ、やったよね?」「ちゃんと勉強してきた?」と、患者さんの前でも、おかまいなしに言われます。「今日初めてなんです。」と申告していてもそうです。
身に覚えもないことも「あなたがやったでしょう」と勝手に決められ、先輩が間違っていても、「ごめん」と言われた試しがありません。中にはフォローしてくれる先輩もいましたが、結局言いくるめられて、終わりです。
また、一緒に入職した同期も少し変わっていました。私と同じく整形外科に配属された新人看護師は、他に2人いましたが、2人共多重人格者でした。陰では先輩の悪口を言っているくせに、いざとなればねこを被って私のせいです。
それに、同期で集まった時に他2人が話す内容といえば、決まって「自分の彼氏自慢」または「今までのキャバクラの客」、あるいは下ネタなど、下品極まりない話ばかりで、正直ついていけませんでした。
私は上京してきた身のため、職場以外に知り合いもいませんでした。親兄弟も遠く離れた実家で暮らし、私をずっと支えてくれた今の夫とも、遠距離恋愛でした。何か新しいことをはじめようにも、新卒の1年目で時間も余裕もなく、家に帰っては泣いてばかりいました。
慣れない土地で寂しいのか、職場で言われたことが悔しいのか、それとも職場での扱われ方や同期との関係が悲しいのか、いつも涙が止まりませんでした。
それでもいつもこの地で支えてくれるのは、病院の患者さんたちです。もちろん、両親や夫も、いつも電話で相談に乗ってくれたり、わざわざ遠くから会いに来てくれたり、いつも私を支えてくれていました。
それでも、「この地」で私の心に潤いを与えてくれるのは、患者さんだけです。いつも患者さんたちとふれあうことで、元気をもらっていました。「この患者さんたちのために、がんばりたい。」そう思って仕事に励みましたが、だんだんと、自分の心を支えていくのに限界が近づいていました。
仕事のやりがいと、職場環境の合わない状態が私の中でバランスを崩していきました。ここで、この患者さんたちのためにがんばりたいし、辞めたくない。それでも、職場ではひどい言われ方をするし、それを吐き出せる友達もいない。そんな風にして、心の均衡を保つことが、だんだん難しくなっていきました。
毎日のように泣くことは初期からありましたが、だんだんと食べても戻してしまうようになりました。心を許せた他部署の同期も、心を病んで早々に辞職していました。そうして、気がついたら心因性の逆流性食道炎になっていました。体重も入職時から5kg以上も減っています。
心も病んで、ついに身体にもガタがきてしまった。更に言えば、前回の生理って、いつ来たっけ・・・。こうして心も身体も、壊れていきました。この時やっと、「もう続けるのは難しいかも」と思うようになり、辞職を決意しました。
どんな転職活動をしたか
辞職願を出してから退職までは、心が少し軽くなった気がしました。それとともに、今度はこんな職場環境が理由でやめなければならないような職場は絶対に嫌だ、と思い、いろんな看護師の知り合いに話を聞きました。
仕事の内容や人間関係、やりがいなど、同じ看護大学の友達はいろいろと話を聞かせてくれました。また、大学の教授にも相談に行きました。「自分は、こんな理由でやめてしまった」と話すと、親身になって、何回でも相談にのってくれました。
そうして転職するまでに2箇所の病院にインターンに行きました。1つ目は300床ほどの、前職場と同じくらいの規模の病院で、患者さんからの評判も良く、もちろん私のやりたい整形外科も独立した病棟としてありました。
友人の話でも、厳しい先輩はいるが、正しい指導をしてくれる。同期や他の先輩も優しい人が多い、ということでした。私は地域の中核病院で、地域の患者さんたちと関わりたいと思っていたので、この病院を1つ目として選びました。
2つ目は、病床数1000床以上の総合病院です。この病院には、この地方の様々な県から、様々な疾患の患者さんたちがやってきます。ここは、私が学生時代に、看護実習を行った病院でもありました。「いろんなことを学ぶには、大学病院がいい」という教授の教えと、「大変だけど、勉強するにはもってこいの場所。
先輩や同僚もまじめな人が多く、新人教育には力を入れてくれる」という友人たちのアドバイスを聞いて、この病院を2つ目として選びました。正直なところはじめは「私には大きすぎる。もっと地域の患者さんたちに寄り添った場所で看護をしたい」という気持ちが強くありました。
しかし実際に両方ともインターンに行ってみると、1つ目の病院は、雰囲気もよく、病院の方も親切に案内してくれました。それでも、なぜだか少し物足りない気がしました。なんとなく、患者さんたちがみんな静かな気がしました。病院なので静かなのは当たり前だし、それは本当に「そんな気がした」だけなのかもしれませんが、私の印象はそうだったのです。
2つ目の病院は、私が思っていたのとは逆でした。思った以上に患者さんと看護師とのふれあいがたくさんあり、先輩指導も頭ごなしではなく、考えさせるような教え方で、魅力を感じました。案内してくれた人も親切で、私はこの病院にしようと決めました。そしてインターンでそのまま面接をしてもらい、その日のうちに採用をもらうことができました。
転職後の職場の様子、感想
転職後の職場は、夜勤回数が少ない分給料が安く、月給は23万程程度でした。そして、前の職場とは全然雰囲気が違いました。決して笑い声や私語ばかり話しているわけではないのに、なんとなく雰囲気が明るい、そんな様子でした。
私が新しい環境になれるまで、多くの時間を割いて業務の内容や手技、手順を説明してくれました。わからないことを質問しても「どうしてだと思う?これは、こういうことだよね。」と丁寧に指導してくれました。
こうして周りのサポートもあって、すぐに新しい職場にとけこんでいくことができ、もっと早くに転職を考えればよかった、と思いました。もちろんやりがいは大切ですが、周りの環境、それは仕事をするうえで最も重要なことなのかもしれない、とその時にやっと気がつきました。
これから転職する方へのアドバイス
自分のやりたいことややりがいを追求する、責任をもって最後までがんばりたい、と思うことはとても大切です。でもそれは自分の心と身体を壊してまですることではありません。
自分の働く環境を決めるにあたり、何箇所か検討、比較することはとても大切だと思います。私は、最初の職場を決める時、「ここだ!」とそこしかインターンにも、面接に行ってなかったのです。これでは雰囲気の比べようがありません。
私は、もっと早くに転職活動をしていればよかったと思います。どんな仕事をするにも、まずは自分の心と身体が資本です。心と身体が健康で初めて、質の良い看護を提供できるのだと、改めて思いました。
もし、今の職場が辛くて悩んでいる人がいたら、心と身体が悲鳴を上げる前に、そのSOSに気づいて、転職を視野にいれることを考えてもいいのだと思います。自分の健康をまもること、これが看護師として、社会で働く者として、最も重要なことだと思います。
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