看護師の転職体験談(52):大学病院の救命救急センターから専門病院へ転職

(東京都 32歳 女)

転職前はどんな仕事をしていたか


(写真はイメージです)


看護大学を卒業して、700床程度の大学病院に就職しました。卒業大学の付属病院なので、希望通りの科にいけるという噂があり、元々救急科で働きたいという希望があった私は、一番救急に力を入れている付属病院に入りました。

希望通り救急でしたが、センターではなく救急・心臓外科・循環器内科・総合診療科の混合病棟に配属され、急性期の疾患なら何でも来るようなところでした。その病棟で1年ほどがむしゃらに勉強し、同じ病棟内にHCUが新設されることになり、2年目から救急部管轄のHCUで働き、3年目の半ばに異動希望を出し救命救急センターに異動し、プリセプターまでやって4年間働きました。


働く人の年齢層は若く、5年目では中堅、7年目はかなりベテランの層になり、30代後半の職員はほとんどいませんでした。大学病院のため、マッチング制度が始まっていましたが、研修医も大変多く、気軽な質問なども出来る良い環境にありました。

変則2交代制で夜勤は大体月に5回。しかし、給料が少ないと言われている大学病院であったので、年収は450万円程度だったと思います。


なぜ転職しようと思ったか

元々、救急の認定看護師などになりたいと在学中から思っていることもあり、救命救急センターで学ぶ日々は大変有意義ではあり、毎日がアドレナリンが出ているような興奮状態で充実感がありました。

しかし、4年目でプリセプターになり、1年目の指導をしている時に、救命救急センターに1年目で入職してきた新人が、今後どう病気の患者が経過していくかがイメージついていないことが分かりました。


他のプリセプターとの話し合いでも同様の意見が聞かれ、自分が1年目の時は病棟で超急性期を過ぎた後の経過まで看ていたため、疾患の理解がしやすかったのだと気づき、同時に、異動してから自分の知識も自信の持てるほどではないということも気づきました。

救命救急では広く浅くの知識はつきましたし、忙しい環境の中で患者を捌いていく感覚は磨かれ、動揺しない心や、瀕死の人を死なせない自信はつきましたが、いつまでだっても自分はこの分野の看護がしっかりできるという気持ちになれなかったこともあり専門知識をつけたいと思うようになりました。


それとともに、救命救急で後遺症もなく助かる人も沢山いますが、蘇生はしても意識障害が強かったり、プシコ患者とのいたちごっこのような気持ちも沸いてきて、救急の世界だけで生きていくことに疑問を感じたので、救急に関係のある急性期の専門分野(私の中では脳神経外科か循環器内科か心臓外科)の看護を学んで、それでも救急だと思うようだったらまた戻ってくれば良いかと考えるようになりました。

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どんな転職活動をしたか

転職しようと決めてからは、それまでも何度かアルバイトをしていたので、登録していた派遣会社に相談しました。しかし、1社だけでは選択肢が少ないかと思い、同時にインターネットで看護に強い派遣会社で仕事検索をして、受けてみたいと思う病院が載っているところ数社に登録しました。

しかし、実際に紹介してもらうには、履歴書を書いて、派遣会社に面接に行かなければならないこともあり、結局は2社だけに絞って面接を受けました。
 

浪費していたのもありますが、大学病院での給料が少なかったこともあり、転職の際には年収550万円くらい稼げることを希望し、休みもなるべく多いところが良いため、年間休日120日程度を目安に、急性期の専門性の高い病院を希望しました。

常勤・夜勤専従どちらでも可としました。登録して1か月以内に該当する病院を紹介され、大学病院に勤務中に2病院の面接を受け、とんとん拍子に決まりました。

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転職後の職場の様子、感想

転職した病院は転職前の私の希望をほとんど兼ね備えた病院でした。大学病院と違って、規模も小さく、施設も整っている感じではありませんでしたが、面接時の看護部長さんが包容力のありそうな優しい雰囲気だったので、良い病院なんだろうと想像していました。

転職後の病院は、200床未満の専門病院でした。毎年未経験の新人が入ってくることは稀であり、職員のほとんどが転職して入ってきた人で構成されていました。入ってわかったのは、入れ替わりの激しい病院だったということです。


私が入職した時には、入職して数か月だが退職する予定とする人が数人いました。また、優しい雰囲気だった看護部長は、実際にはヒステリックで人の話に耳を傾けないタイプで人望がありませんでした。

転職で病院を探す際に、年収550万円は難しい条件と言われましたが、そのような条件に合致したのは何らかの問題があったからだと思います。転職の際に提示された条件は、月収35万程度、家賃補助5万、ボーナス5.5か月分という条件でしたが、入職した後には、ボーナス1か月分は毎月に割り振っているという謎の説明をされました。入職時期の違う職員も同様のことを言われたという場合が複数でした。


転職組ばかりで構成されているような病院のため、新入職者に対する教育体制も整備されていないし、マニュアルも整備されていないし、職員に質問しても「私はこうやっている」「私が知っているのは~」という返答ばかりで、何が正しいのかわかりませんでした。そして、人を育てる環境がないため、全ての負担が重症管理できる人材に集中すると感じました。

実際には、中途で入っても重症管理が出来ると、まず重症患者を担当し、夜勤となればリーダーを任され、緊急入院も担当することになりました。夜勤が来る度に、患者全員の安全を守れるだろうかという恐怖心が襲ってきました。

私だけに限らず、職員の多くが「この病院を辞めたい」と裏で毎日話しているような状況の病院でした。そのような状況のため、残業も多く、基本的に勤務時間が終わって3時間程度は残っていました。


働いている医師も、大学病院の時と比べると驚くほど横柄で、それでいて経験・知識が豊富でもありませんでした。大学病院にいた時は専門外の病気はすぐ他科に依頼でき、適切な治療を行うことが当たり前でしたが、専門病院の弊害を実感しました。

例えば脳外科で入院中の患者が敗血症になった時、敗血症の適切な治療が実施されない、もしくは遅れる状況が発生するのです。こちらは、途中から大学病院から移ってきた医師が数人いたため、雰囲気も治療も多少変化しましたが、やはり専門病院だからこその不便さも働いてみないとわからないことでした。


転職して良かったことは、看護師の患者に対応するモチベーションがすごく高く、勉強になったことです。急性期ばかりしか経験していない私にとって、ケアももちろん行いますが、ケアよりも生命を守ることの方を重視していました。

しかし、他の看護師にならって、歯磨きの回数や入浴・清拭の回数、トイレ誘導の回数など、生活を整えていくうちに、やはり大学病院で入院していた患者さんより状態が良い場合が多く、重要性を学びました。

麻痺の多い脳神経外科でしたので、昼夜問わず、トイレへ誘導することはかなり労力がかかりますが、麻痺の改善やバランスのとり方も劇的に改善することがわかりました。救急の時とは違う、看護の力を感じ、その点では充実感や患者と一緒に喜ぶことができました。
 

これから転職する方へのアドバイス

転職は良い病院に巡り合うことができれば、自分のキャリアアップや人生設計通りの成長ができます。私は1回目の転職でかなり想定と違う状況に置かれましたが、もちろん得るものも多かったですし、3年間勤務したことで専門性と、次回転職時の信頼は得られたと思います。2回目の転職で救われましたが、仲間には救われましたが、精神的・肉体的に本当に辛い3年間を過ごしました。

転職によって自分が何を得たいのか、実現したいものは何かを明確に決めておいて、実現できなかった場合には何を拠り所にするのか、または転職する決断をするのかは考えておいた方が良いと思いました。条件の良い病院に飛びつきましたが、相場と比べてなぜ条件が良いのかも考えて慎重に選ぶと良いかと思います。


また、自分で探すと良い求人に巡り合えるまでに大変な労力を要しますが、希望を伝えると沿った求人を紹介してもらえるので、やはり手伝ってもらった方が楽かと思います。それに、転職の際には条件など自分で聞くには角が立つ部分も、対応してもらえるので交渉してもらうにも心強い存在でした。

感覚ですが、担当者との信頼関係も大切だと思いますので、自分に合った担当者を見つかるまで粘り強く派遣会社を選んだり、相談することも良い手なのかと思います。

転職は何度もしたくないことですから、是非良い選択をされ、より良いキャリアアップに繋がることを祈っております。


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